探索茨城百景 龍神峡と安寺持方の包含風景

茨城百景包含風景探索
03 /22 2021
竜神峡1

茨城百景 龍神峡の包含風景
 龍井城址
 亀が淵鉱泉
 龍ケ淵
 龍ケ馬場

上記の4点が不明でした。

やっとこさ、手がりが見つかり、たどり着けそうな資料を入手。
2013年5月 広報ひたちおおた 常陸太田市役所

県道33号の龍神大橋から竜神ダムに向かう渓谷沿い。
龍神川と山田川の合流地点・竜神橋の袂から竜神川沿いの道をさかのぼる。ダムの堰堤まで400m。
その間にかつて竜神川の主の雄龍、雌龍がすんでいたという伝説の残る「竜が淵」「竜が馬場」と呼ばれる所がある。
馬場は淵の上の平になっている所。
これで場所が特定できる。

ダムからおよそ4km渓谷を進むと竜神峡第一の仙境といわれる亀が淵。この淵の手前に温泉のマークが地図にある。

掲載写真には、大正9年撮影の湯治場の記事。
裏湯、元湯の風景。これは宿が2軒なのか?

これは地図に記載の元湯のことか?

いまでは存在していないようだ。
竜神峡 元湯

亀が淵鉱泉の事だろうか。1999年5月発行の人文社地図には元湯の記載がある。

武生林道

亀が淵へはふるさと竜神むら経由で行くのが近道?

龍井城址
これは武生城ともいわれる、佐竹義敦の居城。龍ケ馬場から数100mと「奥久慈膝くりげ」なる書物に記事がある。
竜神大吊橋をダム事務所方向に渡った山の事らしい。なんの遺構もないようです。

吊り橋のワイヤーロープ基礎がある山。

追記
竜神峡温泉
 茨城新聞社の温泉ガイド 1998年八発行 「湯ったり茨城」によると竜神峡元湯という温泉宿が県道33号線の脇にあった。
2021現在廃業。
この竜神峡元湯は明治期の創業時はさらに3kmほど西に在り、竜神ダムの奥にあり、生活上の不便からダムより300mの所に移転した。そして移転6年後には竜神ダムが完成して、そこも水没することになり県道わきに移転とある。
廃業となった竜神峡元湯の住所、水府村下高倉1327、現在の地名は常陸太田市下高倉1327

更に1969年の 「茨城の鉱泉鉱泉めぐり」週刊てんおん 中村はな
には竜神峡鉱泉 亀が淵鉱泉と2ケ所の名前が挙がっている。こちらの書物も現物を読む事ができない。

どちらの温泉もダムの底にあるんでしょうね。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プラド王子

FC2ブログへようこそ!
ラダーフレームの車に乗る年寄り。