
百景の石碑巡りを100達成したけど、なぜ?が残る事項を探索。
「桃浦」の包含風景である桃浦遊園地
連想される遊園地はディズニーランドのようなものを連想するのですが、公園等のひろば、観光地も百景のなかで遊園地と一括りにされているようです。
その観点から探してみると石碑近くに「沖洲の遊園地」と記載されているものがGoogleマップに出てくる。
訪ねてみればブランコ、ジャングルジム、滑り台がある児童公園。
なんでこんなところにと思う。
桃浦が百景に選ばれた経緯を考えないと謎が解けない。
百景の選定は1950年(昭和25)です。
そこからさかのぼる1926年(大正5年)に鹿島参宮鉄道桃浦駅は開設される。
この駅前は霞ケ浦の遠浅の湖岸で湖水浴場ができた。関東一円から人を集めたようである。
昭和6年に歌人の与謝野晶子も旅行で訪れている。
鹿島参宮鉄道とは鹿島神宮の参拝を目的に開設を企画したらしいが到達せず。鹿島鉄道と名を変え百里基地への燃料輸を担うも鉄道からトラックに。
鹿島鉄道は2007年には廃線。
昭和30年代前半には桃浦観光協会が発足し井戸を開鑿してコンクリトプールを造成運営、貸しボート、出店の設営もおこなわれていた。
しかしながら、湖水の汚染により昭和40年前半には湖水浴場がなくなりました。
このような経過で石碑がある広場、公園が出来上がった。
むかしの栄華をしのばせる記念碑?